una Nota / La vida continuará

覚え書き。些細なことをとりとめもなく。

マツコ・デラックスの「バルス」~前半~

 

わたしが突然このブログを始めたのは、

3つの乱気流が連続発生して心の平和を完全に失ってしまったから。

 

1つめの乱気流は、29歳というアラサー最後の最悪なタイミングで不倫を経験してしまったこと。

2つめの乱気流は、不倫により正常な判断力を失っている状態のまま正真正銘の30代に突入してしまつたこと。

そして極めつけの3つめの乱気流が、30代になった自分が、キャリア、恋愛、収入の全てにおいてなにひとつ思い通りになっていないという事実に絶望してしまったこと。

 

 

 

もう、最悪だった。

(まだ完全に過去形にはできない)

 

 

 

29歳から30歳になるという最悪なタイミングで

芋づる式に乱気流が発生しただけでも悲惨なのに、

ひとつひとつが絡み合ってどんどん巨大化していった。

これまでないほど自分のことが惨めに思えて、

日に日にその感覚が増していった。

結果、完全なる無気力状態に陥った。

不倫関係の精算も、

キャリアを考えることも、

ひいては転職活動も。

全てにおいて考えることをやめた。

解決の糸口すら存在しない気がした。

 

 

 

今回は、そんな負のスパイラル乱気流状態に

マツコ・デラックスさんが晴れ間をつくってくれたんです。

っていうおはなしを書こうかと思う。

 

 

 

マツコさん「バルス

 

キュピィィィィ…!

 

わたし「目が!目がぁぁぁぁ!!!……………覚めた」

 

 

 

 

 

ふざけてるけど、まさにこんな感じだった。

わたしを救ってくれたのは、

偶然ネットでみつけたマツコさんの一言。

 

 

完全なる無気力・精神崩壊状態で

思考すること自体を拒絶していたわたしが、

なぜマツコさんの言葉を受け入れたのか。

今日、全く関係ないマツコさんの記事を読みながら、

すごくぼんやりだけどその理由がわかった気がした。

その記事はこれ。

 

 

 

 

 

『マツコが豪快に飲み干した ヌーハラ論争それぞれの言い分』

 

 

 

 

 

今日この記事を見つけて、

タイトル自体にかなりのセンスを感じつつ、

ただ単にマツコ・デラックスさんが好きなので記事を開いた。

詳しい内容は割愛するけど要点は、

ワイワイ騒がれてるヌーハラ問題に対して

 

 

 


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いい加減でそろそろおやめなさいな。

 

 

 

ってこと。

さすがのバランス感覚。お見事だと思う。

正論をズバッと言うひとは五万といるけど、

受け手から「はぁ?うっせ!」って反発されてたり、

「正論あざーす」って適当に流されてることが多い。

 

 

本質的な、根っこの部分が見えてること。

その根っこの部分を引っこ抜いて叩きつけるんじゃなくて、

被さってた土をどけるように根っこを見せれること。

この2つを同時に、ごく自然にできる人だから

マツコさんは炎上しないのだと思う。

 

 

 

さっきのヌーハラの記事だって、

 

 


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 はーーー低俗だわ。

馬鹿馬鹿しい。居酒屋でやってな。

 

 

 

って切り捨ててるようなもんなんだけど、

言葉選びとかの絶妙なさじ加減で整えてるから、

“豪快に飲み干して”しまえるのですねー。


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(記事の詳細に興味がある方はここへどうぞー)

http://www.j-cast.com/2016/11/22284202.html?p=all

 

 

 

 

 

ここまで無駄に長々と書いてたら、

肝心のバルスの内容について書く体力がなくなってきた。。

…よし、2本だてにしよう。明日にしよう。

タイトル微修正しなきゃ。このパターン定番化しそう。

 

 

 

明日やろうは、馬鹿やろう。

そんなフレーズ、わたしには通用しない。

馬鹿につける薬はない。こっちに軍配。

 

 

 

 かしこ。