una Nota / La vida continuará

覚え書き。些細なことをとりとめもなく。

ひどいよ

 

 

これから近くに行くとわかったら

 

また思い出してる。

 

 

連絡を絶ってからから3ヵ月。

 

決して追いかけることはしない。

 

そういう人だってわかってたけど。

 

 

ひどいよ。

ただ、ひどいよ。

 

 

それだけ。

 

 

 

戻りたくはないけど、

傷つけられたくもないけど、

ひどいよ、って伝えたい。

 

 

でも、あいたくない。

 

 

 

 

だからやっぱり

 

 

ひどいよ。

 

 

 

 

 

 

 

かしこ

 

 

 

 

嫌われたくない病

 

嫌われるのを極度に恐れているんだな、ってひとは苦手だ。

 

 

そういうひとって大抵、一般的にどう称されているか。

 

 

「いいひと」か「優しいひと」のどっちか。

総じて「都合のよいひと」。

 

と書くとまるで、

子ウサギのように無垢で弱々しい存在に思えるが…。

彼らはなかなか打算的だから子ウサギなどではないのだ。

 

 

敵をつくらず、全ての人に好かれていたい。

基本全ての人にいいひとモードで接するけど、

さすがにそれは疲れるから人によって態度を変える。

この人は抑えておかなきゃみたいな人には

尋常じゃない気を使う。それはもう太鼓持ちレベル。

でもある程度のプライドはあるから、

自分より格下だと思うやつには少し強気。

あ、でも少ーしね。

だってその強気モードが誰に見られてるかわかんないから。

 

 

 

そう、打算的。だけど打算下手。

けどその打算が透けてみえてるから胡散臭い人や、

打算で自分の首絞めていつか発狂すんじゃないかと

かえってこっちが気を使って疲れる人。

そんな感じ。

 

 

 

そんな感じの人は、苦手だ。

 

 

結局なんなんだっていうと、

上司にうまく立ち回って希望どおりの部署に異動になった同じ部署の先輩が、

わたしもその部署を希望してると思ったのか、

面倒な仕事ばっか押し付けられる今の部署を抜け出すために社内政治を駆使したことが後ろめたいのか、

(わたしは社内政治批判派ではない。むしろそれもひとつのビジネスセンスだと思ってる。)

わたしが聞いてもいないのに

「●●部なんて行きたくないのにー。なんで急に僕がー。」

などと言ってくる。

 

 

前のブログで書いたとおり、わたしの上司は口が軽い。

だから、彼がその異動を勝ち取るために上司にどんなネゴシエーションをしたのかなんてとうの昔に知っているのだ。

だから、わたしの前で不必要で卑屈な嘘をつく彼をみて、

「おめでとうございます!」が喉の奥にひっこんでしまった。

もともと信頼しているわけでもなかったが、

今回ので完全に不信任採決となった。

 

 

“そんなに気ばかり使って疲れやしないか。よくやるわ。”

と、わたしも心のどこかで馬鹿にしていて、

それが相手にも伝わっていたのかしら。

まあええわ。

とにかく、苦手。

 

 


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かしこ。

 

 

チャックの木

昼間の晴天とはうってかわり、雨が降りはじめた寒い夜。

 

一息つこうとベランダに出て、チャックのことを思い出した。

 

あの日から、もう10年以上も経つのか。

 

 

 

 

 

センター試験を控えた、ものすごく寒い日だった気がする。

その年の冬、突然うちに1匹の野良猫が度々やってくるようになった。

ものすごくやせ細っている猫で、ひどいダミ声。

その弱々しい体からは想像もつかないほど大きな声で鳴く猫だった。

 

ニャー

 

というよりも、

 

あ゛ーーーー!

 

という叫び声のような鳴き声だった。

うちでは既にわたしが小学生の頃ひろってきた猫を飼っていたので、

新たに迎え入れることはできなかったが、

もともと猫が好きだった母とわたしは、

あまりのみすぼらしさに同情したこともあり、

少しだけ我が家の餌を分け与えてやった。

 

 

すると度々その猫はうちにやってくるようになり、

最初はひどいダミ声に思えたその鳴き声も、愛嬌を感じるようになった。

真っ黒な毛と、日に焼けたような茶色が混じっていて、

もともと悪い毛並みをより一層みすぼらしく見せていたが

その不思議な毛色から、母とわたしはその猫を

茶と黒(チャ+クロ)で、「チャック」と呼び始めた。

 

野良猫歴が長いせいか、

チャックは四六時中うちに居つくわけではなく、

お腹が空いた時だけ我が家にやってきて、あのダミ声で餌をねだった。

餌をやるのは母かわたしだったので、2人とも家にいないときは

辛抱強く我が家の玄関で待ち、わたしが学校から帰ってくると

待ってましたとばかりに立ち上がり、大きな声で鳴いた。

 

 

餌をやると、チャックは我が家の猫とは比べ物にならないほど

ガツガツと飲み込むような速さと勢いでそれを平らげた。

何度か餌をやるうちに、

ひどかった毛並みが少しよくなり

ガリガリだった体が少しだけふっくらしてきても、

そのガツガツ食いは変わらなかった。

その様子を見ていると、

うちに来る以前に経験したのであろう長い長い飢えの記憶と

それゆえに染み付いた生きることへの執念を感じさせた。

 

 

徐々にうちに来る頻度も多くなり、冷え込む夜には

我が家の駐車場に停めてある父の車の下で暖をとって眠るようになった。

朝になって、寝ぼけまなこで自分の車の下から這い出してくる姿を度々みるうちに

元々そんなに猫が好きではなく、耳障りな鳴き声を鬱陶しがっていたうちの父ですら、

「なんだ、またお前か」とぶっきらぼうに声をかけるようになった。

それでもチャックは、一日中ずっとうちに居座ることはしなかった。

朝の挨拶をし、餌をもらい、どこかにいなくなり、

夕方頃にまた餌をねだりにくるときもあれば、こないときもあった。

きっと他にも餌をくれるおうちがあるんだね、と母と話していた。

 

 

 

ある日、チャックが1度も姿をみせなかった。

「お母さん、今日チャック見た?」

「見なかったよ。珍しいねぇ。」

「どうしたんだろう。お父さん、帰ってきたときにいなかった?」

「いなかったぞ。朝も、いなかった。」

毎日最低1回は顔を見せていたので母とわたしは不思議がった。

父は野良猫なんだから、当たり前だろうと受け流した。

 

 

次の日も、その次の日もチャックは来なかった。

母もわたしも不思議には思っていたが、特に心配はしていなかった。

あの逞しいチャックのことだ、大丈夫。

そう思っていたんだと思う。

 

 

 

2、3日後、学校から帰ると悲しい顔をした母がわたしに言った。

 

「鈴木さんのおうちの横にある、空き地があるでしょう。

今日スーパーの帰りに通ったらふと目がいってね。

茂みの中に黒い影があるような気がして。。

近づいたら…チャックだったよ。ひどい怪我でね…

多分、車にひかれたんだと思う。血が沢山でていて、ほとんど動かなかった。

今日はとても寒いし、あのままではあまりにかわいそうで。。

すぐに家に帰って段ボール箱にタオルを敷いて持って行ってあげたの。

ついさっきだから、同じ場所にいると思うけど。。」

 

 

その日、母には用事があり、わたしにそれを告げるとすぐ出かけた。

わたしは居ても立ってもいられず、すぐにその空き地に向かった。

母が言ったとおりの場所に段ボール箱があった。

覗き込むと、母が言ったとおり、チャックはいた。

そこにいるのは確かにチャックなのだが

母が言った以上に弱々しく、わたしが知っているチャックではなかった。

わたしが知っているチャックは、

綺麗とは言い難い茶と黒のパサついた毛並みをしていて、

細い体に似合わず大きなダミ声を響かせて私や母の足元にまとわりつきながら餌をねだり、

ガツガツと飲み込むように一瞬で平らげる。それがチャックだ。

 

毎日餌をもらえる場所が確保できてもそこに安住することなく、

どんなときでも生きることへの執念をむき出しにしていたチャック。

おぼろげながらも、わたしはその姿に畏敬の念すら覚えていた。

“それでも、生きていく。”

まさにそんな感じだった。

 

 

 

そんなチャックの命は、今にも消えそうだった。

わたしはそれまで動物が死ぬ瞬間を目にしたことがなかったが、

目の前の光景は火を見るよりも明らかだった。

ああ、チャックは死んでしまうんだ。

あれほど動物好きな母が、

手当てをするわけでもなく、動物病院に連れていくでもなく、

段ボールとタオルを持って行った理由が一瞬で理解できた。

 

 

 

何を考えるわけでもなく、ただ呆然とチャックをみていたわたしは

突然チャックが横たわる段ボール箱を持ち上げ、我が家の方向に歩き始めた。

今思い出そうとしても、わからない。

明確な意思や理由はなかった。

なぜチャックが入った段ボール箱をうちに持って行こうと思ったのか。

わけのわからない空き地でチャックを死なせたくなかったのか。

冬の冷たい風が吹きさらしの空き地がとにかく寒かっただけなのか。

とにかく、そこにチャックを置いて立ち去ることだけはできなかった。

 

 

 

我が家の玄関は目の前が父親の駐車場になっていて、

左側はお隣さんの生垣だし、右側にはうちの壁がのびている。

駐車場と玄関の間の一段高くなっている部分に腰掛けて風をしのぎながら、

自分の傍に段ボールを置き、チャックを見続けた。

ただ、見続けた。

 

 

今思えばこういうときドラマとかでは

「死なないで、チャック…死なないで…」とか

「大丈夫?痛いよね…苦しいよね…」とか

ただひたすらシンプルに、

「チャック、チャック…」とか

何かしら声をかけていそうなものだけど、

あのとき、わたしの喉からは一切の音が出てこなかった。

顔をくしゃくしゃにして鳴くわけでもなかった。

黙ったまま、チャックの胸のあたりが小さく小さく上下しているのを見ていた。

ただ呆然と寒さに震えながら(恐らく蒼白の無表情な顔で)

少しずつ抜け殻になっていくチャックを見ていた。

日が暮れて氷点下になっていく夕暮れの中、

体の感覚はとうになく、頬はピリピリして鼻先はちぎれそうなほど痛かった。

時間の感覚は失っていたが、母が当分帰ってこないことはなんとなくわかっていた。

どうすればいいのかわからなかった。

 

 

 

 

 

どれくらい時間が経ったかわからない。

ものすごく長かったかもしれないし、

ものすごく短かったかもしれない。

わたしはこのあと、どうしたと思うだろうか。

寒空の下で薄れゆく意識の中、

玄関先でチャックの死を最後まで見届けたと思うだろうか。

 

 

 

 

 

再びチャックの段ボールを抱えて、わたしは突然たちあがった。

玄関とお隣の生垣の間には、細い細い砂利が敷いてあるスペースがあって、

わたしはそこに入り、ずんずんと歩いた。

そこには壁沿いに冬の間に使う灯油とかホウキとかをしまっておく物置があり、

更にその奥に進むと、少し開けたスペースがある。

わたしはその砂利のうえにチャックが横たわる段ボールをそっと置いた。

そこには、給湯器とブラインドのようなガラス窓があった。

(ルーバー窓というらしい)

そのガラス窓は、我が家の浴室の換気窓だった。

 

 

段ボールをおくとわたしは家に入った。

迷わず風呂場に向かい、

ものすごい早さで服を脱ぎ捨て、

母が出かける前に湯を溜めておいた湯船に飛び込みむと、

目の前にある換気窓のハンドルを回し、開けた。

 

 
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そう、わたしは湯船で体を温めながら

チャックを見るという行為を再開したのだ。

今でも、あの日の自分の思考回路は説明できない。

あの日の自分の行動全てがうまく説明できない。

わかっているのは、

チャックの命が消えていく瞬間を見続けなければと思ったこと。

そしてその日は、信じられないほど寒かったということ。

チャックが抜け殻になっていくのを玄関先で見ていたとき、

最初はなにも考えずただ空っぽの頭で見続けていたのが、

ふと気づいたら、頭の中で

「寒い。寒い。風邪引いたらどうしよう。」

という自分の声が聞こえたこと。

それに気づいた瞬間、

わたしはチャックの段ボールを持ち上げて浴室前に移し、

次の瞬間、湯船の中で温まりながら再びチャックを見つめ続けていた。

 

 

冷えた手足の先が熱い湯の中でジンジンと痛むのを感じていると

わたしの頭の中は再び空っぽになった。

少しして、わたしの体が温まったと同じくらいにチャックは死んだ。

空っぽだった頭に、気づくと「ごめんね」が混じっていた。

 体が温まって初めて、ひとつの命が消える瞬間に、

自分が湯船に浸かりながら立ち会ったことを恥じた。

 

風呂からあがり、再び服を着て外に出て、

風呂場の前にあるチャックの段ボールに近づいたとき、母が帰ってきた。

 

 

「ここに埋めてあげるの?」

 

 

風呂場の前の少し開けたスペースに置いてある段ボールを見て、

うちにお墓をつくってやるためにチャックを運んできたと思ったのだろう。

母にそう言われた瞬間、わたしは初めて涙をポタポタと流し、黙ったまま頷いた。

玄関に荷物を置いた母と一緒に、

庭の花壇用の小さなシャベルでチャックを埋める穴を掘った。

タオルにくるんでチャックを寝かせ、土をかけたあと一緒に手を合わせた。

母は、土の上にチャックが好きだった猫のあられを3粒置いた。

 

 

チャックを弔い、家にはいると母が言った。

「寒かったわね。風邪ひくといけないから、お風呂で温まってらっしゃい。」

わたしはまた黙って頷き、ポチポタと涙を流した。

母にはあの日のわたしの一連の行動については話さなかった。

湯船に入り、ガラスの間からチャックの最期をみていたという事実が、

冷静になるとひどく狂気じみたものに思えた。

もし、チャックの最期を母と一緒に見ていたら、

途中で母は「お風呂で温まってらっしゃい。」とわたしに言っただろうか。

2度目の湯船の中で、そんなことを考えていた。

 

 

 

 

それから春が来て、大学生になり、2ヶ月間の長い長い夏休みに入った。

スラムダンクの再放送を見ながらゴロゴロしているわたしに

花を植え替えていた母が玄関先からわたしを呼んだ。

 

 

「すごいのよ!ちょっと来て!」

 

 

 

かたつむりの大群でも出たかと思いながらノソノソと玄関を出ると、

母が玄関脇の砂利道から手を招いていた。

隣の家の生垣から伸びた枝葉が髪の毛につくのを嫌がりながらついていくと

浴室前の少し開けたスペースを母が指差していた。

 

見覚えがあるその場所には、

砂利が敷き詰められていて、ひょろひょろの雑草しか生えていないその場所には、

よく見ると小さな小さな苗木が生えていた。

 

 

 

「…植えたの?」

 

 

「そんなわけないじゃない。生えてきてたの!」

「こんな砂利だらけのとこに?」

 

 

「ね、すごいでしょ!ここ、覚えてる?」

「チャックのとこだね。」

「なんだかお墓らしくなったわね」

 

 

 

そのとき、なぜかわたしはほっとした。

小さな苗木が生えているのをみて、なぜかほっとしたのだ。

許された気がするという意味ではない。

罪悪感をもっていたわけではない。

チャックの生命力を再び見た気がして、

ただただほっとしたのだ。

 

 

 

 

 

「あの子が栄養になって、お隣さんの生垣から根っこがのびたのね。」

 

 

 

 

 

 

 

どこまでもシュールな母親の言葉で現実に引き戻されつつ、

わたしはそのとき初めて、死というものがなんなのかを飲み込めた気がした。

 

 

湯船に浸かりながら、

ガラス窓の隙間からチャックを見続けたあの日の私は、 

命が消える瞬間に直面しているときの行動だと考えると

やはりとても狂気じみていたようにも思える。

寒さで脳が支配されてしまうのを排除しようとした行動だと考えると

そこまで狂気じみたものてはないようにも思える。

 

 あの日のわたしは、

恐らく狂気じみていたし、恐らくマトモだった。

これが今日、初めて文章にして感じたことだ。

 

 

それにしてもなんでまた突然、

あの日のことを思い出したんだろう。

これを書き終えて再びベランダに出ると、

ピーンと貼りつめた冷たい空気が広がり

目の前にある道路の分離帯にひょろっと伸びるイチョウの木が見えた。

実家にある“チャックの木”も、あんな感じでひょろっとしてたなぁ。

年末に帰ったら、久しぶりに手を合わせよう。

そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

かしこ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やる気出ず


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今日はサボりまくった1日でした。

外人@スタバなり。

 

人間観察してたから、ある意味シゴトしてたってことにしよう。

今度は悲スタバ系の人間観察しにいこうっと。

 

 

 

寝る。

 

 

 

かしこ。

孤独が怖いなら管理職なんかやるな

 

 

今日の締めくくりは最悪。

まさにタイトルどおり。

 

一緒にいて恥ずかしい管理職。

部下とやたら仲良くしようとしてるけど、

そんなん管理職に求めてない。

そしてやたら口が軽い。

裏事情や人事情報は自らながす。

気に入らない奴の悪口を仲良い部下と一緒に言いまくる。

 

そして極めつけに今日、

中途採用候補の情報をペラペラと。。

採用形態とか、年収とかの提示条件まで。

業界未経験者だけど、輝かしい学歴と前職があるから

うちに来てくれたら儲けもんじゃん!って。。

あたし、そいつとほぼ同い年でこの業界の経験は上なのに

そいつに提示した金額の方がやや上なんですけど。

契約社員だけど。

 

 

 

マジふざけんな。

提示条件に口出しするほど身の程知らずじゃないけど

その内情知ったら文句言いたくなるわ。

そうゆうことは裏で勝手にやれよ。

伏せるってこと知らないのかよ。

ほんと管理職やるべきじゃないわ。

 

 

 

あーーーーーうぜーーーー

 

 

 

 

ってそんな日だった。

 

 

 

 

かしこ。